『ダイヤモンドトレール』
2012年01月23日
ダイヤモンドトレール縦走路より南河内を望む
ダイヤモンドトレールは葛城山系・和泉山系の山々を歩く自然歩道である。
起点は「二上山北の穴虫峠から終点は西国33札所4番の施福寺」
大阪府・奈良県が整備した約40キロの道で、ハイカーに親しまれている。
春には、「チャレンジ登山大会」も開催され多くのハイカーが参加している。
学生時代山岳部で、葛城・和泉山系は良く歩いた。
北アルプスに行く為の夏山合宿のボッカ(歩荷)トレーニングでも「ダイヤモンドトレール」は縦走したものだ。
あの頃は、水を飲むとバテルので、飲むな!と言われていた。
そういう時代だった。
縦走中は景色を見る余裕なんてなかった。
ただ、前のメンバーの足元ばっかり見て歩いていた。
卒業して、OBの人達や社会人の山岳会の例会で、大峰や台高の山々を歩くようになった。
どうせ山に登るのだから違う山に行きたいと思ったので、自分がまだ登っていない山を歩いた。
そして、しばらく葛城山系から遠ざかった。
昨年の紀伊半島の豪雨災害で、大峰の山も大きな被害を受けた。
山仲間もしばらく大峯には行けないな~と言っていた。
家から葛城の山々を見ていて、また昔を思い出して葛城の山々を歩こうと思っている。
地図右下再生ボタンをクリックすると山歩できます。
ダイヤモンドトレールは道標もしっかりしている。

「ダイヤモンドトレール」起点の穴虫峠から終点の槇尾山まで、一気に歩く健脚者もいるが数回に分けて完走するのも良いだろう。
参考プラン
①穴虫峠→大和葛城山
②大和葛城山→金剛山
③金剛山→紀見峠
④紀見峠→槇尾山
※ダイヤモンドトレールは、エスケープルートもしっかりしていますので安心です。
『平石峠』
2012年01月19日
平石峠
古来、南河内・和泉の人々が當麻寺・長谷寺・伊勢神宮への参詣道として利用されて来た古道である
当麻方面 平石方面
この平石峠は葛城山系の葛城二十八越の一つである。
葛城修験では、葛城山系から二十八ヶ所を選び、これに法華経二十八品を配し、各所にそれぞれ写経を埋納して経塚を建て、修験の行場とした。
平石峠には、葛城二十八宿の経塚 二十四番 妙経妙音菩薩品がある。
六十センチほどの役行者石仏と、右側には不動明王の石仏がある。
『神南辺大道心』
2012年01月17日
国道166線と竹内峠
竹内峠から少し大阪側に下り、北側の斜面の旧道沿いに「役行者堂」「宝篋印塔」「役行者御霊水」の石碑が建っている。
碑のあるところは、国道から外れているし、ハイキングコースからも外れているのでほとんど気付かない。
役行者御霊水は、今は枯れている。
竹内峠の手前に、神南辺隆光が建立した石仏がある。
神南辺隆光は江戸後期の人で、大阪と奈良を中心に、百基あまりの道標や地蔵などの石造物を造っている。
文政年間末に御所(ごしょ)により「大道心」という名を賜り、以後の石造物には、”神南辺大道心”とその名を刻んでいる。
石枠に、さかい 神南辺大道心建立と刻まれている。
因みに、大阪堺の南海堺駅近くには、神南辺町があり、お墓は、堺市の市立堺病院近くの寺院にある。
古道 竹内街道 多くの旅人がここを往来した。
『久米の岩橋』
2012年01月15日
葛城市寺口付近より、岩橋山を望む。
今日15日は、役行者の伝説がある岩橋山の「久米の岩橋」を見に行って来ました。
コース
二上山・万葉の森~竹之内峠~平石峠~岩橋山~久米の岩橋~岩橋峠 ピストン
9時に万葉の森駐車場を出発する。
のんびりダイヤモンドトレールを歩く
日曜の為、多くのハイカーとすれ違う。
いくつかの小ピークを越し、いくつかの階段を登り11時ごろ岩橋山到着
久米の岩橋の見学を終え、久米の岩橋からの道からダイヤモンドトレールに出ると、急に脇道から人が出て来たので、10人ほどのハイカーが驚いていた。
平石峠を少し登った所に四等三角点473mがあるが、現地は「万才山」と書かれてあって何度もこのダイヤモンドトレールは歩いているが、知らなかった。
のんびり歩くと新たな発見もあるものだ。
今日歩いたコースは、階段が多く100段ほどの階段をいくつか登る。
岩橋山手前の階段数は265段あり、この階段登り夏場に登ると本当に辛い。
車を万葉の森に停めているので、岩橋峠で昼食をして歩いてきた道を引き返す。
今回の歩き始め竹之内峠の国道で、タヌキが道の中央で2匹車に引かれて死んでいた。
引かれてまだ、そう時間が経っていなかったと思うが、アメリカンタイプの単車のライダーが、このままだと可哀そうだと思ったのか亡くなったタヌキを路肩に運んでいた。
帰り、あのタヌキその後どうなっているか気になり周辺見渡しても路肩に運ばれたタヌキが2匹ともいなくなっていた。
少し、歩いていると路肩で人の気配がして、振り向くと、どなたかが亡くなったタヌキを埋めていた。
「久米の岩橋」
この岩橋山の由来は、岩橋山の山頂から少し下ったところの西側にある「久米の岩橋」があることによる。
役行者が一言主神に吉野山へ橋を渡せと命じたところ、一言主神は顔が不細工で夜しか働かなかったから橋が出来なかった。
役行者は怒って一言主神を谷底に突き落とした。
その造りかけの橋が「久米の岩橋」というのだ。

1801年刊行
河内名所図絵 (葛城岩橋図)によると、巾3尺余、長8尺ばかり、西南の方少し欠けたりと紹介されている。
岩橋の上には、人が居て、何やら拝んでいるようにも見える。
牛を引いての行商人は、大阪側の平石村から岩橋峠を越して伏越の集落へ向かう人達だろうか?
左の巨石は、行場の鍋釜石、鉾立岩、胎内くぐり岩だろうか?
久米の岩橋を下から見たところ
河内名所図絵通り、西南方向に岩橋が欠けていた。
久米の岩橋を上から見たところ
以前は、大阪側の河南町の説明板が建ててあったが、今は無くなっていた。
いつもこの久米の岩橋を見ると飛鳥の「酒船石」を思い出す。
久米の岩橋の北側には、不動明王が祀られていた。
河内名所図絵に描かれている久米の岩橋付近で人が拝んで見えるのは、この不動明王かな?
河内名所図絵が正確に描かれていることに驚く。
この久米の岩橋の”久米”も何故クメが付くのだろう?
因みに、この久米の岩橋の遥か東側には、久米仙人ゆかりの久米寺がある。
久米仙人と言えば、神通力があったが飛行中に川で洗濯していた娘さんの足の白さに目を奪われて墜落したという伝説もある。
『役行者誕生地』
2012年01月11日
御所市茅原の役行者 誕生所 吉祥草寺
南門は、大国峠にあったという伝えがあるが大国峠が何処を指すのか知らない。
地図を見ると、吉祥草寺の真南に、大口峠がある。
大国峠は大口峠?
吉祥草寺は昔、広大な境内だったらしいが本堂辺りが、中ノ坊だった。
修験道の役行者は、この吉祥草寺の地で生まれたと伝えられている。
守護神の熊野神社境内には、産湯の井戸・腰かけ石など役行者にまつわる伝説が多い。
境内にある立て札は、御集印の筆跡からしてご住職が書かれたものだろう。
森垣内~蛇穴~宮戸~吐田~金剛山を修行として、役行者は歩いていたと伝えられている。
実は、役行者誕生地が大和高田市の奥田にも伝わっている。
そう、遠くないので吉祥草寺から大和高田市の奥田にあるもう一つの役行者誕生地まで歩くことにした。
吉祥草寺から北側の道は、行者道と呼ばれ、大和高田奥田の役行者の母が住む奥田へ通じている。
吉祥草寺の北門は、大和高田の奥田にあったという伝えも残っている。
吉祥草寺~元御所東高校~出屋敷~笠宮春日神社~愛宕神社~柳原~善教寺
吉祥草寺を出て、真北に歩く
招き猫と観音様に見送られる。(笑)
笠宮春日神社は、東向きの神社で昔は、もっと参道が長かったことだろう。
しばらく歩くと愛宕神社が東向きに祀られていて、辻には道祖神だろうか祀られていた。
立て札が祠に建ててあったが、消えていて読めなかった。
役行者も葛城山の山々を見ながら、吉祥草寺と善教寺(捨篠院)を歩いたことだろう。
柳原をのんびり歩く
小さな川に出て、川沿いに歩く
奥田の集落が見えて来た。
奥田に入り、路地を歩くと善教寺に到着した。
山号は、興井山 善教寺
善教寺略縁起によれば、境内はもと役行者創建の捨篠院の旧跡であった。
また、境内には役行者産湯の井戸跡があった。
大きな地図で見る
Aが奥田の伝役行者誕生地(捨篠院)
Bが玉手の伝役行者誕生地(吉祥草寺)
役行者誕生地が2つあり、何よりも吉祥草寺と善教寺(捨篠院)が直線で北南であることに驚いた。
『14日は大とんど』
2012年01月09日
御所市の吉祥草寺では、毎年14日に「大とんど」が行われます。
何度か「大とんど」を見に来ましたが、今は本堂は綺麗になっています。
雌雄一対の大とんどが作られ五穀豊穣が祈願されます。
今年は、19時40分 20時 点火
トンドが燃えている間は、熱く すごい迫力です。
県指定無形民俗文化財。拝観無料。
問合せ:吉祥草寺(tel:0745-62-3472)
御所市茅原279
交通 : 最寄り駅からの交通
JR 玉手駅
歩5分 駅の北側の杜です。
今日9日の吉祥草寺
行事当日も楽しみなのですが、このように行事の準備をしている様子を見に来るのも楽しみの一つです。
トンドの日の昼間に、雄、雌の大とんどが造られます。
最上部には、「ハチマキ」という直径30cmの化粧縄が巻かれます。
トンドは、直径約3m 高さ約6m 重さ約1トンでトンド当日は、境内は、大勢の参詣者で熱気ムンムンになります。
中央に、石が置かれていたが何か意味があるのだろうか?
トンドは「左義長」とも呼ばれているが、語源は、諸説あるようだが、一般的であるのが、三つの竹あるいは木を組んで結び、三脚にして立てたことによる説がある。
また、左義長は、「三毬杖」が語源で、木製の玉を打つ遊戯の道具で、今でいうゴルフクラブ、ゲートボールのスティックの様なものだったようだ。
毬杖を3本立てたので、三毬杖→左義長
左利きを「ギッチョ」と呼ぶが「サギチョウ」と関係あるようで面白い。
大とんどの火柱が高く舞い上がるほど吉兆で、正月神(御歳)を送る行事「大とんど」
『捨篠』
2012年01月05日
大和高田市奥田の弁天神社の御神木
みなさま
今年も宜しくお願い致します。
昨年は、いろいろあって思うように山歩き出来ませんでした。
今年の私のテーマは「歩く」です。
山道を歩く
町中を歩く
歩かないとわからない事ってありますよね?
今日は、修験道の役行者所縁の地を歩いてきました。
役行者所縁の地を葛城山を見ながら歩く
役行者の母、刀良売(とらめ)が眠る地より、二上山を望む
7月7日の七夕の日は、池の周りは、「蓮取り行事」で人が溢れるが流石に、この時期は池の周りに鴨が数羽いるだけ。
今年の7月7日の七夕の日は土曜日なので多くの人が蓮取り行事を見に来るだろう。
この池は、弁天池とか蓮池とか呼ばれている。
神社の前は、道路になっていて少し解り難いが神社の周りが水で囲まれているように見える。
弁天神社は、池の中に祀られているケースが多いが、ここの奥田の弁天神社も昔は池の中島に浮かぶ神社だったようだ。
また、この池は「捨篠池」の別名がある。
何故、捨篠って呼ぶのだろう?
役行者の母が眠る地に向かいながら考えていた。
役行者って
賀茂氏だったけ?
賀茂氏って
御所の高鴨神社だな
高鴨神社の鎮座地は、御所市鴨神字捨篠
大和高田奥田の捨篠池と御所の高鴨神社の鎮座地の捨篠
捨篠
賀茂繋がりか?
気になる。
役行者神変大菩薩誕生地
福田寺 行者堂
『葛城の道』
2011年10月07日
「葛城の道」サイトの紹介
葛城の道1 (風の森バス停~風の森神社、高鴨神社)
葛城の道2 (高鴨神社~高天彦神社)
葛城の道3 (高天彦神社~極楽寺)
葛城の道4 (極楽寺~長柄神社)
葛城の道5 (長柄神社~一言主神社~九品寺)
葛城の道6 (九品寺~六地蔵)
金剛・葛城・二上の連山は、大和と河内の国境をなしてそびえ、大和平野の南西部にあって、南東部の三輪山と共に神の坐す山として古くから知られている。
この山麓一帯が古代の葛城の国である。